高知県(かつお県)

戦国時代の領主、長曾我部氏の居城は高知港の湾口にある浦戸でした。湾内の良港に近く、交通の要衝でもあるうえほどよく小高い丘もあるこの地に着目して工事を試みたのですが、城下の治水工事が難航して断念。それを、関ヶ原の戦いののちに領主となった山内一豊が本格的な築城工事を起こしました。

 

現在も天守閣などが残っていますが、これは江戸中期の享保年間に一度、全焼したあとの再建です。ただ、江戸中期の建物にしては古風で桃山風なのは、もともとの高知城が山内家の前領地である掛川のお城を模したもので、それをまた、火災後の再建の際にも踏襲したためです。

 

山内氏は幕末まで変わることなくこの地を治め、とくに、幕末の藩主であった容堂公は実力者として大きな役割を果たしました。幕末維新には藩士たちだけでなく、坂本龍馬など郷士と呼ばれる準武士階級も活躍しましたが、彼らの多くは長曾我部氏の旧臣でした。

 

高知県民の県民性を語るときに「異い骨ごつ相そう」という言葉が有名ですが、これは強引で頑固で一途であることを言います。坂本龍馬はまさにそういう性格を代表しているのではないでしょうか。ここの方言では「ぜよ」という語尾がよく使われます。

 

高知平野では、かつては米の二期作が盛んでした。土壌の疲労も大きくなるので廃れていますが、早場米の産地としては温暖な気候が生きています。

 

地図で見ると高知県は海洋県に見えますが、西南部の海岸は絶壁が続き実際に訪れるとむしろ深い山国です。県北の大豊町八坂神社の「杉の大杉」は高さ68メートルの全国屈指の大木。

 

高知市から車で4時間かけて着く宿毛市はかつて大石油コンビナートの夢もかけられましたがオイルショックで挫折しました。

 

この地は吉田茂の出身地ですが、彼は国の大事を預かっている身で地元のことに構ってられるかというほうで、地元から来た陳情客に「高知に鉄道なぞいらん」と言い放ったそうです。西南日本出身の政治家にはそういうタイプの人が多いようで、田中角栄型の政治家が主流の北東日本に比べて地元は損しているように思えます。

 

西南部の中心都市で四万十川に面した中村は、室町時代に京の戦乱を避けた前関白一条教房が自分の荘園のあったこの地に移った場所で、小京都らしい風情があり、夏には大文字焼きまで催されます。

 

四万十川は、流れが緩やかなことからダムのない自然のままの清流として知られ、全国からカヌーの愛好家なども集まってきます。西南端の足摺岬は台風報道で知られるほか、四国八八カ所巡礼の金剛福寺もあります。また、最近ではホエール・ウォッチングを売り出し中。

 

東部へ眼を向けると、阪神タイガースのキャンプ地としてとくに関西では名のしれた安芸市があります。さらに、南へいくと室戸岬に近い室戸市があり、ここは学生相撲出身で明るいキャラクターで愛された若松親方(元大関朝潮)の出身地。室戸岬は太平洋の荒波に浸食された奇岩と本土では珍しい亜熱帯の植物が魅力ですが、空海が悟りを開いた御み厨く人ろ窟どの中で聞く海鳴りは「残したい日本の音風景百選」にも選ばれました。